教員の声




第12回  一貫部教頭 松崎 慶喜 教諭 (社会科)
- 「今を、しっかり記憶せよ」 -

人は誰でも“自分を突き動かす言葉”に出会ったことがあるのではないでしょうか 。私もそんな言葉に出会い、自分の進むべき道を決めた一人です。

運命の言葉に出会ったのは私が高校3年の秋、A先生の日本史の授業です。A先生は普段から黒曜石やら古銭やら古文書やらを片手に熱く語る方でしたが、ある日、
「君たちは今、歴史の大きな曲がり角にいる。しっかり記憶しておきなさい」
確かにこのころ、中国では天安門事件、ドイツではベルリンの壁崩壊が相次いでおき※、歴史の常識であった東西冷戦がまさに転換せんとしていたのです。先生はそれを強調されたのでした。そうか、自分は今歴史の画期に立ち会っているのか…そう思うと、今ひとつ煮え切らなかった進路選択が「歴史学」とはっきりしました。さらに身体を動かすことも大好きだったので、友人のアドバイスもあり「身体を使う歴史学=考古学」と分野を絞り込み、幸いその方面に力を入れている大学へ進むことができました。

入学後、意気揚々と臨んだ発掘実習、気分はハリウッド映画…ところが実態は、日陰も水道もない夏の炎天下スコップ掘削(刃先で焼肉をする先輩がいたとか)、寒風で耳も鼻も真っ黒・かじかむ手での測量(午後3時で霜が降りる)など、地道ときどき過酷?な作業の連続でした。

しかしこういった地道な作業の先に、今日私たちが知りうる史実=太古の人々が石器に適した石材を吟味し、効率的な石器の製作方法を編み出していたこと・土器の文様や器形が方言のように時代や地域でバリエーションがあること・古墳が空撮もないのに正確な測量に基づいて造営されていたこと等が明らかにされてきたのです。ちなみに、現在国内で行われる発掘調査の大半は、都市開発と引き換えに行われる措置(=破壊が前提)だということを皆さん御存知ですか?

あの時A先生の言葉がなければ、この考古学に出会い、今日授業で黒曜石や縄文土器を触れる生徒の笑顔を見ることはなかったかも知れない…。つくづく出会いに感謝し、翻って私も生徒の胸に響く「言葉」をもちたいと強く思うのです。

A先生は今なお、ボランティアで歴史講座を開くなどしてご健在。過日お会いすることができましたが、あの時の言葉を覚えてらっしゃるかどうかは聞かずじまいでした。
※いずれも1989年。

第11回  加藤 直忠 教諭 (数学科)
  感動する瞬間 ~ それまでのストーリー ~

新年あけましておめでとうございます。
昨年は、2020年の夏季東京オリンピックが決定し、大変盛り上がりましたが、今年もスポーツイヤーです。第22回冬季ソチオリンピックが2月7日からロシアで開催され、また、サッカーワールドカップブラジル大会も6月12日からブラジルで開催されます。この2大スポーツ大会から多くの感動ドラマを我々は見ることができるでしょう。

しかし、残念ながらこれらの大会は海外で開催されるため、生で見ることはできません。そこで、私は、年明け2日に、箱根芦ノ湖に足を運びました。第90回東京箱根間往復大学駅伝競走(通称:箱根駅伝)を現地で応援するためです。私が応援した場所は、箱根駅伝でもっとも過酷といわれる第5区箱根の山上り区間です。第5中継所の小田原から芦ノ湖ゴールまでの距離が23.4km(全10区間中最長)、標高差864mのコースです。その最標高874m(小田原中継所から18.6km)地点で見てきました。まさに864mを駆け上った選手一人一人の、呼吸や表情をじかに見ることができ、自分の限界に挑戦している姿に本当に感動しました。そこには、私以外にも、各大学の幟を持った人達や一般の人達が多数いましたが、自分の大学だけでなく全ての大学に対し声援を送り、一体感を感じる瞬間でもありました。
   
※第5区コースの特徴 第5区は、俗に「山上り」と呼ばれ、標高差864mを駆け上がる区間。第82回(2006年)からは距離が延長され、全区間で最長の23.4kmとなった。山上りが注目される区間ではあるが、反対に最高点を過ぎた残り4kmの下りが勝負という言われ方もされる。事実、上りと下りでは使用する筋肉が異なるので向き不向きがあり、また、いきなり筋肉にかかる負荷が極端に変わることから、寒さも災いして中には下りで痙攣を起こして立ち止まる選手や途中棄権する選手もいる程のもっとも過酷な区間。
(「東京箱根間往復大学駅伝競走」-ウィキペディア参照-)
 
結果は、東洋大学が往路・復路を制し総合優勝で幕を閉じました。後で知ったのですが、今年の東洋大学のスローガンは「その1秒を削り出せ」だったそうです。その意味は、過去のレースでの反省へ遡ります。3年前の第87回箱根駅伝の時、往路優勝を果たしたものの、総合では21秒差で2位に終わってしまった年。「10人それぞれがわずか2.1秒縮めていれば優勝の可能性もあった。駅伝は、1人ではなく10人1組のチーム戦。途中何があるかわからないからこそ、選手一人一人が1秒でも早く次の走者に襷を繋ぐことが大切である」。そうした選手の意志が「その1秒を削り出せ」に込められていました。

今大会では、それ以外にも、途中棄権の大学や、2秒の差で母校の襷が繋げられなかった大学など数々のドラマがありました。
今回私が感じたことは、「目標が達成される時とは、①高い目標の設定、②日々の練習の積み重ね(努力)、③周囲の協力による環境(感謝の気持ち)、④襷の重み(伝統)、⑤仲間(切磋琢磨)といった要素が、全てが満たされた時ではないだろうか。」というものでした。 これは、スポーツだけでなく、学生生活においても言えると思います。

例えば「部活動を頑張りたい者」、「勉強を頑張りたい者」、「自分の好きな物を極めていきたい者」等、なりたい自分になるための目標の設定、目標達成に向けた設計図をイメージし、実行することです。しかし、その設計図を描けない生徒は、「今何か興味関心のあること」、「広い視野にたって世界を見つめ直すこと」等にヒントが隠されているのではないでしょうか。そのヒントを見逃すことなく何か一つ打ち込めることを見つけ、失敗を恐れず最後まで諦めずに挑戦してみてはどうか。この行動力こそ、将来きっとあなたの財産になるはずです。

そこで、私から君たち生徒に向けたお題です。 『冒頭の、2020年の6年後に開催される東京オリンピックイヤーに向け、何か1つ目標を設定し、実現させてみませんか?』
是非、他人から感動を受ける受け身ではなく、他人に感動(勇気・希望)を発信できる人間になって下さい。

最後に、「2020年 東京オリンピックイヤーの主役は君たちだ!」

第10回  一貫部教頭 松崎 慶喜 教諭 (社会科)
- シリアに、防人の心に思いを馳せる -

先日、新聞で目にした記事です。
「内戦続くシリアの大学で、日本語を学ぶ学生と教師たちが困っている。日本人教師が国外退避してしまったため、代わりに現地人教師が教えているが、語学経験が浅いので文法や発音、漢字の用法に自信がない。その傍らで今日もキャンパスに迫撃砲が着弾する。
(中略)ある教師は、いつか日本に留学し、日本文学の研究者を夢見ている。一番好きだという万葉集の一首『韓衣(からごろも) 裾に取り付き泣く子らを 置きてそ来ぬや 母(おも)なしにして』をそらんじ、今のシリア人の心と同じだと話した」(25年12月5日付朝日13版)

この歌は1300年前、防人(さきもり)が詠んだもの(※)。意は「韓衣(防人の軍服)にすがり泣く幼子を、私は置き去りにしてきてしまった。この子らには母親もいないのに」とされています。“お父さん、今日は何時に帰るの?ご本読んでくれる?”というわが子の姿とだぶり、私はいつも鼻の奥がツンとします。

私は感じました。今このとき、遠く離れたシリアで日本文化に関心を持ち、命の危険も顧みず勉学に励んでいる若者がいる。その教師は、古代日本の防人の心情を共感できてしまう境遇にいる。…翻って自分は、日頃ニュースを耳にしていて、彼らに思いを馳せているだろうか。わが子とまみえる日常を、当然のように思ってはいまいか。生徒らに「勉強(部活動)ができる境遇に感謝せよ」と言っている自分こそ、怪しくはないか…。

私は彼の国の内戦について特定の立場をとりませんが、一日も早く、安心して日本語学習に打ち込める日がくることを、防人の心情を「過去のものとして」理解できる社会がおとずれることを願います。そして社会科を教える身として、自分がリアルタイムで国際社会の問題を意識し、生徒とともに考える視点を共有していければと思っています。
※防人に徴用された信濃国の他田舎人大嶋(おさたのとねりおおしま)の作。

第6回  荒井 育恵 教諭 (養護)
人権・性教育講座で思うこと

私は本校で人権・性教育講座を担当していますが、扱うテーマは毎年変えています。それは、常に生徒の実態に沿うもの・生徒が求めているものにしたいからです。講演後は生徒の感想文を何回も読み返し、次年度のテーマ・内容を創出してきました。

そのような中で、2年前、卒業生対象の講演において自分自身の体験(女性として、母親として、養護教諭として)を語ったところ、大きな反響を感じました。「自分たちは従来の性教育はいらない。保健体育でも家庭科でも学ぶし、知識は自分でも調べられる。人生の生き方に関わるような(今回のような)話が聞きたい」。さらに「後輩たちにも聞かせてやって欲しい」という感想を何人もの生徒が記していました。私はそれを、自らの生き方への強烈なメッセージと感じました。自分が求めているものは何か?(難しそうだけど)トライしなきゃ!ということで、私は最近、東アフリカのマサイ族を訪ね、そのときの模様を高校3年生対象の人権・性教育講演で「I wish Love & Peace」と題し発表しました。感想では、生徒自身の自己開示も多く寄せられ、大きな反響を得ることができました。

「また私の財産が増えた。」-私の生き方そのものが広義の「性教育」となりうることに気付いた今、「感謝」と「幸せ」を感じています。

第5回  大友 堅詞 教諭 (国語科)
『受験道』

私は本校に来て以来、部活動で「薙刀部」の顧問をしています。授業では、毎年3年生の古典を担当し常に大学受験と関わってきました。武道と受験勉強、一見相反するもののようですが多くの共通点があると私は感じています。それは、「厳しさの中でこそ人は育つ」ということです。

大学受験と人間教育は対立するか?

「人間を数値で判断する偏差値重視の大学受験制度は人間教育に悪影響ではないか」という話をよく聞きます。その理由は「人間の価値を学力という数値のみで評価する」ことから人間として養うべき「精神性」が育たないと考えられたからではないでしょうか。しかし、私は「大学受験」こそが生徒を人として大きく成長させる「人間教育」の場になると思っています。

高い壁は人を育てる

人が大きく成長するために必要なことは「全力で挑戦し、弾き返される」経験だと思います。人間は、壁にぶつかったときに「逃げる」か「立ち向かう」かの選択を迫られます。大学受験は人生における大きな「壁」です。「壁」の高さは目指す大学の高さです。自ら妥協することなく高い目標を公言する「覚悟」が大切なのです。大学受験という「壁」に立ち向かい、その過程で多くの挫折を経験し、悩み、また挑戦する。この苦しい時期こそが自分を見つめる大切な時間になるのです。

「過去問は解くものではなく、浴びるもの!」

私が教えていた生徒たちから生まれた不思議な名言です。ある日、遊びに来ていた卒業生が自分の受験期の思い出を振り返りながら、「過去問はいつもそばにあるもので、浴びるような感覚だった」と語ってくれたことがきっかけで、3年生の流行語(笑)になっていました。大宮開成は1年次から小テストなど実に多くの課題に取り組みます。そして、積み重ねてきた努力の量が確固たる自信になってゆくのです。まさに、百錬自得なのです。

自分に厳しく 仲間に厳しく

「武道」の良さは、日々稽古を通じて、己の弱さと向き合うことで自己を修練してゆけることだと思います。このことは受験においても全く同じことです。そして何より大切なのが、一緒に戦う「仲間」の存在です。 本校では、「センター試験全員受験」などクラス・学年全体で大学受験に取り組むことを大切にしています。大学受験は「落とし合い」ではなく仲間とともに戦う「高め合い」が大切なのです。 大学受験を目前にすると多くの生徒が「逃げ出したい!妥協したい!」と思うのは当然のことです。その時に自分で逃げずに踏ん張ることは大切です。しかし、もっと大切なことはすぐそばにいる仲間がなぐさめるのではなく「逃げちゃだめだ!妥協するな!」と叱咤できることです。

仲間の1勝は自分の1勝

弱い自分をお互いに理解し合いながら「厳しく支え合ってゆく」ことこそ本当に仲間を尊重し高め合う関係であり「団体戦」なのだと思います。団体戦の意識が高まってくれば、実際の大学受験の際にも、仲間の合格を本当に喜び合えるようになります。それは、「同じ苦しみを分かち合い支え合ってきた」実感があるからなのです。

受験の厳しさを知り、自分の弱さと向き合うこと

それが「受験道」 大学受験は本当に厳しいものです。だからこそ、自分を磨く「道」になるのです。
大宮開成で、「受験道」極めてみませんか?

第4回  岡田 明香 教諭 (英語科)
私にとって、英語を勉強するということ

英語をなぜ勉強するのかと問われたら、みなさんは何と答えますか?多くの人が「国際的に活躍したいから」「英語は重要だから」と答えるのではないかと思います。

私は英語を教えていますが、学生時代は英語の勉強が好きだったわけではありません。そんな私が英語を積極的に勉強した理由は、STAR WARSという映画が大好きだったからです。字幕や吹き替えなしで内容を理解したい、この映画にまつわる場所を見に行きたいと思い、英語を本格的に勉強するようになりました。ですから、私が英語を勉強した理由は、好きなものを極めるためだと言っても過言ではありません。

学ぶということは、究極的には好きなことを極めることだと私は考えています。ただ、その「好きなこと」をさまざまな方向から極めるためには、さまざまな知識や体験が必要です。だから、私たちは多教科を学ぶのだと思います。

勉強が苦手だという人や、嫌いだという人もいるはずです。ですが、無駄な知識や経験はないのです。私は、STAR WARSという趣味のおかげで、アメリカを旅行したり、大学の卒業論文を書いたりすることができました。さらに、現在英語の教員として充実した毎日を過ごすことができているのです。いろいろな知識を吸収し、「楽しい!面白い!」と思えることを、共に増やしていけたら幸せだなと思います。

May the Force be with you!

第3回  越阪部 晋 教諭 (国語科)
「受験勉強」という響きから、何を感じ取るだろう?

中学生のころ、国語の小説の問題で「この時の○○君の気持ちとして最もふさわしいものを次のア~オの中から1つ選び記号で答えなさい。」という問題が苦手だった。私はどうしても答えは「ア」だと思うのに、答えは「イ」なのだ。私はこの手の問題が大好きだった。「○○君の気持ち」は、「私が思っている」ことなどと全く関係ないのだ。「私」が強すぎる時代において、「私が思っている」ことを問わない国語の姿勢に感動していた。

ある作品に関して、自由に討議することも時には必要であろう。そこで「私が思っている」ことを積極的に発表する姿勢は、これからの社会で間違いなく有用な力となる。しかし、「私が思っている」ことをとりあえず置いておく姿勢、「○○君の気持ち」を優先する姿勢もまた、これからの社会において実に有用な姿勢となろう。

入試問題で、よくある話ではないか。近代以降のイエ・ムラの消滅とコミュニケーション能力の低下。ポストモダン論で筆者たちは常に、そういった「現代」を否定し、コミュニケーションの復活や、利他主義への変換を訴えているではないか。これからの社会において必要な力は、「私が思っている」ことを保留し、「○○君の気持ち」を優先する力に他ならない。

「受験勉強」という響きから、何を感じ取るだろう?

21世紀を担う君たちだからこそ、全力で「受験勉強」すべきだ。「受験勉強」は我々に「思いやりの気持ち」=「愛」を与えてくれる。

受験勉強は愛だ!


第2回  伊藤 義明 教諭 (数学科)
高校生活3年間は、人生80年とすると、たったの4%弱です。数字的にみると、本当に短い期間です。しかし、短い期間ですが、卒業後の人生への影響力は大変大きなものがあると思います。高校時代に考えたこと、学んだこと、経験したことが、形を変え、時を超え、自分の方向性を左右します。たったの3年間ですが、自分の努力次第では、計り知れない程の成長を見込める本当に大切な時期です。私自身、そんな3年間を生徒と共有できることは本当にかけがえのない喜びであると共に、一緒に歩めることにいつも感謝しています。

高校生活で大切なことは何かと考えてみると、それは、常に前向きであるということです。無理かもしれないとか、やる気が出ないと嘆いているだけではだめです。
全ての人に、夢中になってやり出すポイント、即ち「やる気スイッチ」はあります。今、やる気がない人は、スイッチがないのではなく、そのスイッチを発見できないだけのことです。この心のスイッチは、目には見えません。闇の中を手探り状態で歩いていることを想像してみて下さい。行き場所もわからず、不安で、イライラして、本当に辿り着けるのか心配になってきます。人より早く見つけたいという思いに駆られたりもします。

将来、どんな形で社会に貢献したいのか、自分の存在感をどのようにアピールしていくのか、それを真剣に考え、求めていくことが大切です。新しいことにチャレンジする精神的な強さを兼ね備えている人は心の目を持っている人、逆に、面倒くさいという気持ちが先に立つ人は自分の未来像が見えない心の目を持っていない人といえます。何事も前向きに嫌がらずに、今吸収できることは全て吸収しようという意気込みで、チャレンジしていきましょう。

高校生活の最初に期待することは、「中学生活から高校生活にバージョンアップすべきだ」ということです。自分を変え、成長させるためには、色々な方法がありますが、次の3つがとりわけ大切だと思います。
(1) 学校を欠席しないこと。どんなことがあっても、多少体調が悪くても休まない強さが欲しい。
(2) 宿題をやりきること。進路を自分の力で切り拓くためにはこのことが大切です。
  計画性や粘り強さが求められます。
(3) 自分と違う人が沢山いるという認識と共に、共存していこうという協調性があること。

是非、自分がどこまで成長できるか、高校時代にかけてみませんか。期待しています。


第1回  阿部 俊介 教諭 (英語科)
初めて教壇に立ったのは、15年前、進学校を目指し、生徒の志望大学に合格させることを第一に考えた。部活動や行事、生徒会・委員会活動などが生徒の個性を伸ばし、忍耐力、責任感を育てる諸活動であるのと同様に、受験が人を大きく育てる機会と捉えた。1、2年生で英語の教科をある程度完成させるため、基礎力となる単語、熟語、文法、アクセントを「鉄板」にする指導を心掛けた。家庭学習を重んじ、平日は、「学年+1時間」を合言葉に家庭学習の成果を小テストや定期テストで随時確認した。テストで定着度を図り、不十分ならば、出来るまで残した。授業では、速いペースの進度を心掛け、予習を前提にしながら、問題を解くことに重点を置いた指導を展開した。厳しく鍛えることで生徒の成績は伸びた。

しかし真の学力は果たしてついてきているのだろうか。知識の詰め込みや問題を解き、点を取ることに専念し過ぎていないだろうか。英語教育の目的は、大学受験が終点ではなく、他言語を学ぶことで異文化を知り、自国を見つめ、世界と共存する力を育成することではないだろうか。教員になりたての頃は、オーラルコミュニケーションを重視し、スピーキングやリスニング力をつけるにはどうすべきかを第一に考えていた。英語の歴史やその文化的背景を語り、興味を持たせ、考えさせる授業、楽しい授業を心掛けようとしていた頃を思い出した。大学進学のための受験指導は当然必要だが、生徒の意欲、関心を喚起し、自主性を伸ばすことこそが真の学力を伸ばすことにつながるのではないだろうか。未熟だが、未熟だからこそ今後も試行錯誤を重ねながら、教壇に立ちたいと考える。

 

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