校長 その日その日

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校長 その日その日

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2025/08/15

(8/15)あの夏も眺めていたのだろうか

15日(金)の今日、さきの大戦から80回目の終戦記念日です。

日本史的には「日本が降伏することを国民に公表した日」であって、本当の降伏調印は9月2日。そのため8月15日以降も中国北部の旧ソ連国境部やオホーツク海の島部では戦闘が続き、多くの命が失われたことはあまり知られていません。

 

本学も戦争とは無縁ではなく、戦争末期の旧大宮洋裁学校(現大宮区東町付近に存した)時代、当局から軍需協力要請があったとの学内の記録がありますが、何分当時のことで詳細は伝わっていません。→当コラム「子供の運命は、つねに」2023.4.11

大宮は軍需産業の町でもあったため※、「総力戦」といわれた戦争末期には官民挙げて協力せざるを得なかったのでしょう。※鉄道工場(鉄道以外の軍需品も手掛けた・現JR)や戦闘機エンジン工場・光学機器工場(いずれもさいたま市北区)など

しかし戦後、女性の社会進出にともなう普通教育への要望に対応し、今日の大宮開成へと改組されていった経緯もお伝えしたとおりです(上記コラム)。

 

――ここ数回繰り返し述べていますが、当時のことを伝えるのは本当に難しい、教員の私でさえも、知っていたつもりで実は情報収集が甘かったなと思うときがあります。

 

そんな中、偶然このお盆休み中に親族と県外の田舎を巡る機会があり、貴重な話が聞けました。

 

私の曽祖父が学校関係者であり、地域を束ねるような立場だったことから前途有望な教え子を戦地に送り出してしまったこと、戦後それを悔やんで学校現場から身を引いてしまった(と親族は推定している)ということです。

 

「あれがそうよ」曽祖父が勤めていたという小学校の校庭には二宮金次郎像のほかに人影はなく、日差しに白く照る校庭に夏草がそよいでいました。

金次郎さん、あの日も私の曽祖父と教え子たちを眺めていましたか…?

 

――まさに私が先日書いたやなせたかしさんのような思いをした人が私の身近にもいたのですから、日本中がそうであったのでしょう。

 

言い古されていますが、やはり教育は大事です

過日の池上 彰先生の講演・また私自身の大学の恩師のエピソードのように多面的な視点・正確な歴史認識を持ってこそ、本当の国際協調を図れる人間になれるとの私の考えはますます揺るがなくなりました。

 

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