校長 その日その日

Principal Day by day

校長 その日その日

 

2023/08/15

(8/15)先生の「蜘蛛の糸」

今日8月15日(火)は78回目の終戦記念日です。(太平洋戦争:1941.12.8~1945.8.15、正式には9.2)

本校の母体が戦時中の1942年(昭和17年)設立、また私が社会科であることからも、本校と戦争の時代を切り離して考えることができません。

 

この時期、私が思い出すのは、私が大学時代にお世話になった大塚 初重先生(おおつか はつしげ・1926~2022)のお話です。学生当時に聴いた際の記憶と、最近ウェブに掲載されていた記事をもとに書きます。

 

大塚先生は日本考古学界の大家であり、とくに弥生時代~古墳時代の研究で名を馳せられました。なぜ先生が考古学を学ぶに至ったか?

 

それは戦争が原因でした。

 

先生は青年時代、海軍の気象部というところにいました。1945年の4月つまり戦争末期、上海へ配属命令が出て、佐世保から輸送船に乗るのですが、東シナ海上で米軍の魚雷攻撃を受けてしまいます。

 

自船に搭載していた魚雷も誘爆し、先生のいた船室は燃え盛り、逃げるには甲板に上がるしかない。そのとき目に入ったのが、甲板から垂れ下がっていたワイヤーです。

先生はそれに飛びつき甲板上に、そして海上へ脱出できました。

 

逃げる際、ワイヤーを登ろうとする自分の足に他の兵隊2~3人がしがみついたのを、燃え盛る船室に「蹴り落とした」そうです。

まるで芥川龍之介の『蜘蛛の糸』のようだった、と述懐しています。

 

船はもちろん撃沈、海上を漂流していたところ運よく、済州島の漁民に助けられ帰国できました。同じ隊の3分の2がこのとき亡くなったそうです。

 

ところが、非情にも帰還直後の先生に、再び渡航命令が出ます。

今度の船は関釜連絡船、しかしこの船でもまた対馬海峡で撃沈の憂き目に遭います(このときの乗船者はほとんど民間人)。

 

波間に漂流しながら、先生は強く思ったそうです。

「国難のときには『神風が吹く』と学校で習ったが、全くウソではないか」

「自分がもし命が助かれば、神話に基づく歴史ではない『本当の歴史』を学ぼう」……

 

2度の撃沈にも運よく助かった先生は復員後、働きながら明治大学に入学、考古学を修めます。

もし先生が命を落としていたら……登呂とろ遺跡(静岡県)をはじめ今日、日本史の教科書を構成するような原始・古代の研究は、間違いなく停滞していたことでしょう。

考古学の啓発普及にも努め、先生の社会人向け講座はいつも人気でした。研究者然としたところがなく、広く内外から親しまれていらっしゃいました。

私の大先輩や友人も含め、先生の薫陶を受けた研究者は全国で活躍しています。

 

学生当時は失礼ながら「そんなものかな」程度にしかお話を聞いていませんでしたが、むしろこの歳になって強く思い出されます。小柄で朗らかな笑顔の陰に、壮絶なご経験があったのだなと。

先生は昨年、95歳で惜しまれながら鬼籍に入られました。

 

自分が戦争世代でないこと、そして科学的な歴史を学んだ者として、このような話をむしろ語り継ぐ責任があると思っています。そして学校こそ、先人の成功も過ちも、科学的に教えるところであるべきだと思います。

 

本校創立者の学校設立の動機も、戦後を見据えて、日本人(特に女性)の経済的自立と修養にあったと聞いています。

(4/11)子供の運命は、つねに(令和5年度版)

 

このお盆休みのように、皆さんがご家族・ご親族と寛げる時代が、いついつまでも続かなくてはなりません。

 

(参考:読売新聞オンライン[時代の証言者]古代日本を掘る 大塚初重